北海道「鮭物語」

鮭イメージ

「鮭は生まれた川を忘れず必ず帰る。我もまた君を忘れず、この心鮭に託して」
佐藤三男

北海道へ渡ってきた名もなき開拓者たちは、故郷への万感の思いを鮭に託した。
また、アイヌの人々にとって鮭はシ・イペ(食糧)であり、カムイ・チュプ(神の魚)と呼ぶ特別な魚であった。

先住民族・アイヌの人々は例外なく魚のことを「チェプ」と呼びます。鮭は川で獲れる魚の中ではもっとも重要なものなので、シ・イペ(ほんとうの食糧)、あるいはカムイ・チェプ(神の魚)、シ・チェプ(ほんとうの魚)、シペ・カムイ(鮭神)などと呼ばれています。
また、北海道各地に伝わる鮭の説話や、鮭迎えの祭り、花・草木・天の川で占う漁占いは、その年の鮭漁を占うものでした。

鮭は特別な魚だった

鮭の呼び名も、前述の「カムイ・チェプ」などのほか、冬になってから川に入った鮭を「マタ・チェプ=冬魚」、海にいる銀毛鮭を「エルイベ=光る食糧」や「ヘレルケ・チェプ=光る魚」、若い鮭を「ペウレ・チェプ」、いちばん先に川に入った鮭を「ペッ・ノンカリ」、鮭漁中に穫れた特別大きな鮭を「シチャ=大雄魚」あるいは、「カムイチェプ・サパネクル=神魚の王」と呼ぶことなどからしても、鮭がアイヌの人々にとって特別な魚だったことが容易に理解できます。
鮭が特別な魚であったことは、海を渡り北海道にやってきた開拓者たちも同じでした。
北海道への移住と開拓は、明治2年の廃藩置県で、蝦夷地が北海道と改称されたのをきっかけに盛んになり、第一次世界大戦時の豆の大量輸出による好景気でピークを迎え、昭和20年代まで開拓移住者募集が続けられていました。その間、東北地方はもとより、明治4年には九州熊本からも天草開拓団21戸が浦河に入植するなど、日本全国のほとんどの県が、農業・漁業の開拓移住者を送り出しています。

故郷への思いは地名にも

当初、北海道開拓を担った人々は戊辰戦争に敗れ、明治新政府という官の途を閉ざされた旧会津藩士や、廃藩置県によって、やむなく新天地への移住を余儀なくされた小藩の下級藩士などが中心でした。その後、寒冷地十勝に入植した農業移民、鰊で一旗を夢見た漁業移民、などなどフロンティアの大地北海道への開拓移民は後を絶ちませんでした。こうした、故郷を遠く離れ酷寒の地へ夢を抱いてやってきた人たちの故郷への思いは、新十津川、新篠津、北広島、白石など、入植地へ故郷と同じ名をつけたことからも十分にうかがい知れます。

万感の思いを鮭に込め

いつの頃からか、人々は、年の瀬になると鮭を故郷の、親兄弟、親族、恩師など、自分にゆかりのある人たちに送るようになりました。鮭は川で生まれ海に出て3~5年後には必ず故郷の川を忘れず帰ってきます。海を渡って新天地へやってきた人々にとって、鮭は故郷への万感の思いを託すことのできる特別な魚だったのです。

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北海道産一等級『銀毛オス鮭』を使用。伝統製法の「逆さ塩」と「庵蒸」で鮭本来の旨味をとことん引き出しました。

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