スローフード物語 vol.3

「さざ浪漬」

さざ浪漬イメージ

甘辛だけでは語れない米糀の旨味。雪と氷の国で生まれた「さざ浪漬」。

甘辛だけでは語れない米糀の旨味。雪と氷の国で生まれた「さざ浪漬」。

さざ浪漬は、米糀の働きで五味では表現できない「旨味」の領域をつくり出しました。鮭と米糀の幸福な結婚です。
永い間、人の原味覚は「甘い」「塩辛い」「酸っぱい」「辛い」「苦い」の五味と考えられてきました。これに「うま味」が加わったのは、1908年、池田菊苗博士が昆布から抽出した「グルタミン酸ソーダ」の発見があったからです。

五味プラスワンの原味覚

イメージ当初「うま味は」は日本人ならではの、繊細な感覚でしか理解しにくいものとされましたが、現在では原味覚として世界に認知され、「うま味=tastiness」と呼ばれています。 このうま味成分の利用は、学問的に解明される以前から、日本人が経験的に行ってきたことで、弊社が「さざ浪漬」に採り入れている「糀」もそのひとつです。
「糀・麹=こうじ」とは、広義には穀類に糸状菌(カビ)を生育させた散麹(ばらこうじ)のことで、日本酒づくりに欠かせないものです。弊社のロングセラー商品「さざ浪漬」はこの散麹を「酒」ならぬ「鮭」に用いた画期的商品。その誕生には次のようなエピソードがあります。

大不漁が一転大豊漁に

昭和46年、弊社は十勝の豊頃町大津漁港の鮭漁場を手がけることになりました。ところがこの年は鮭が全道的な大不漁、大津の浜も例にもれず、浜値は上がる一方、天井知らずの大暴騰を記録しました。
さて、その年の10月、すでに鮭漁も終わりに近くなり諦めかけていたとき、弊社の前浜の網に待望の鮭の大群がかかりました。しかも、なぜかほかの網には鮭の回遊が見られず網にかかっていません。まさに、千載一遇のチャンス到来です。
大津漁港の随意契約(随契)は、1号から20号までの20カ統あり、7~8社の随契の場所が組合から指定され、その場所は毎日変わります。
加工場はさながら戦場と化しました。処理するのに徹夜で、翌日の朝8時頃までかかったと、そして後にも先にもあんなことは経験したことがないと、当時を知る古参社員は語っています。待望した鮭の大豊漁、しかし、大豊漁を喜んでばかりはいられません。浜値が暴騰したため資金が底をつきはじめたからです。とんでもない高い鮭を大量に買うはめになってしまいました。あれほど待望した鮭なのに、鮭よこれ以上獲れないで!と祈るのですから現金なものです。そして、随契の恐ろしさというものをいたく経験しました。

窮すれば変じ、変ずれば通ず

イメージさて、鮭のもっとも売れる年末商戦が終わってみると、大量に買うはめになった高価な鮭が60トンも売れ残ってしまいました。これを何とかしなければ…。当時、鮭の価格は今でいえば2~3万円もした時代です。高価な大量の鮭を前にして、創業者・佐藤三男は日夜考え続けました。やがて、ひとつのアイデアが浮かびました。それは鮭を糀漬にすることでした。糀に含まれている酵素が、鮭の蛋白質をアミノ酸に代え、糀から代謝される各種成分が、直接的、間接的に鮭の香味を高めるはず…。糀を用いた先発商品「石狩味」で、糀の効能を経験していたことが窮地で役立ちました。まさに窮すれば変じ、変ずれば通ずの典型です。

日本人の原味覚に訴える美味

イメージ早速、伝統ある糀作りの名人、秋田の「能勢醸造」に、佐藤三男自らおもむき、鮭に合う「特製糀」を能勢醸造の主人と一緒に開発。これを鮭の切り身と一緒に漬け込み全国で試食販売しました。
「さざ浪漬」の、甘辛で表現できない味わいは、日本人の原味覚に訴える奥深い美味として評判を呼び、たちまち60トンの鮭はあっという間になくなってしまうほどの大ヒット商品になりました。主力商品の「さざ浪漬」の誕生です。
なお、能勢醸造では特製糀を「一子相伝」として門外不出。弊社のさざ浪漬のみに提供しています。

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